| 四谷見附橋の下は四ッ谷駅。地下鉄丸の内線はこの駅で地上にあがります。 |
|
サクラの見事な古木がいっぱい。サクラサポーターの支援の下に、このサクラ並木の保存が可能となっているようだ。冬季は見通しが利きますが、咲いたサクラも見たいです。 |
 |
|
 |
| 2/12は入学試験日でした。この校舎に「上智大学入学試験場」とありました。マウスオン |
|
進行方向右側は「真田濠」都所有で、上智大グランドとなっている。その向うを電車が走ります。奥のほうは赤坂御苑。 |
 |
|
 |
土手の左下は、もと「尾張名古屋藩徳川家屋敷跡」、徳川御三家のひとつで幕末の石高は61万9500石でありました。(説明板より)
|
|
やがて土手がおわり、道路に出ると、ホテルニューオータニの池泉廻遊式日本庭園へと続きます。
ホテルは1964年開業。 |
 |
|
 |
ホテルの場所は「近江彦根藩井伊家屋敷跡」
井伊家は加藤清正の屋敷を拝領したので、元は清正の屋敷であった。日本庭園は清正の時代からのものである。(説明看板より) |
|
住所は紀尾井町。紀尾井町の地名は、紀州徳川・尾張徳川・近江井伊の各屋敷があったことから、きている。
「なだ万本店」 |
 |
|
 |
| 見事な石灯籠が、そこかしこにあり、当時のものが残っていると思われます。外人客だけではなく、日本人も落ち着けるようなたたずまいです。 |
|
弁慶橋方面出口は閉鎖中で、やむなくホテルを通り抜けました。 |
 |
|
 |
| 赤坂見附交差点を通過。バックは赤坂東急 |
|
山王の「日枝神社」。裏参道の大鳥居はエスカレーターつきでした。マウスオン
家康が入城した時に江戸城内の紅葉山に遷座し江戸の鎮守とした。1603年開幕後場外に移し庶民も参拝できるようになった。1657年明暦の大火により焼失。これを期に現在地に遷座した。 |
 |
|
 |
| 18日の東京マラソンの交通規制予告が電光掲示板にでていました。マウスオンでズームアップ |
|
溜池山王駅 |
  |
| 外堀通と首都高の交差点下にある「溜池発祥の地碑」 |
 |
|
 |
| 碑にかかれている「溜池角の小松ビル」首都高が邪魔だわ。 |
|
特許庁前交差点、特許庁は左側、中央は商船三井ビル。 |
 |
|
 |
「江戸城外堀の碑」 霞ヶ関3丁目あたりひっそりとありました。警察官の警備が目に付きます。
マウスオンで拡大 |
|
外堀の碑がある近くに「新聞創刊の地碑」
洋学者子安峻らが、この地にわが国初の大衆啓発紙読売新聞を創刊したのは1874年11月2日である。江戸時代の情報伝達形式であった「読売瓦版」から名をとって題号とし漢字にふりがなを施した平易な新聞として出発した・・・と書いてあります。 |
 |
|
 |
虎の門交差点近くに「金比羅宮」
この鳥居は銅製で港区指定有形文化財。
虎門外の讃岐丸亀藩京極家の江戸屋敷に嘉勧請された金毘羅宮の鳥居。1821年ニ奉納された明神形鳥居・・円柱には青い竜・朱雀・白虎などの霊鳥、霊獣が飾られ・・(説明文より)
青竜をマウウオンで |
|
「百度石」
願掛けの一種、お百度参りで、願いがかなったお礼に建てられたもの。願掛けの多くは病気治癒であったと言われる
裏には大願成就 願主○新道 元治元申子年(1868年)十二月吉日とあります。(説明文より)
|
 |
|
 |
「虎門遺跡碑」
虎ノ門交差点にあります。そしてここは一丁目一番地でした。マウスオン |
|
内幸町駅 |

西新橋を通りかかったら新日本石油社屋の前に「人間に火をあたえた・・」プロメテウス像がありました。台座には「希望」とあります。 |
|

異彩を放つ「堀商店」のビル
屋上の方は中世の城のようですね。 |
|
|
|
 |
|
 |
| イギリス積みのレンガアーチ橋。下は店舗がいっぱい。右方向がJR新橋駅です。 |
|
高速下をくぐり、いよいよ銀座に入ります。
「土橋」と書いてあります。 |
 |
|
 |
| 西銀座です。東京マラソンの幟があります。 |
|
「みゆき通り」そのむかし、みゆき族なんてのがいましたね。 |
 |
|
 |
数寄屋橋です。都心のビル建設工事が多いのに驚かされます。
建替えなのか新築なのか?はて。
マウスオン |
|
新数奇屋橋と書いてあります。
寄り道して、マリオンの裏側にある「南町奉行所跡」を見に行ったが、大きなビルの工事中で、その中だと言う。保護はされているようだが、入れなかった。竣工までおあづけってことですね。 |